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有次の抜き型 (京都お持ち帰り、その2)

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あちこちの友人宅のキッチンで和包丁や銅製の卸し金など、時折目にしていたのは有次のもの。

いかにも切れ味良さそうに鈍く黒光りする鋼の先端だけが白くピカリと光り、恐ろしく感じると同時にこんな出刃包丁であれば、経験不足の自分でも魚をおろす腕が少々上がるような魔法をかけてくれるのではないかと思い、憧れのようなものを感じたり。とはいえ、和包丁には定期的な手入れが欠かせず、砥ぎ石と包丁を操るのは絶対無理。というのも、ずっと以前母が砥ぎ石に包丁をぴたりとあて、シャリシャリシャリと砥いでいたのを眺めていた時に周囲にうっすら漂っていた血のような匂い、それを想うと幾つになっても怖いのです。しかも、幼い頃は父、現在はフランス人ながら時々日本のDVDを買う夫君が好きで見ている昔の時代劇の中で日本刀が交差し合い、鮮血が飛び散るシーン、震え上がらずにいられません。日本に発達した鋼の文化、和包丁と日本刀を切り離して考えることができない臆病者なので、私が使えるのはもっぱらステンレス製の包丁ばかりです。

包丁以外の道具については、関東出身ゆえ、なんとなく日本橋の木屋を贔屓にしています。

やはり関東は東京出身の幸田文がいろいろその随筆の中で語っている明治・大正・昭和の台所風景、どこの家でも女たちが自らの手でしっかりと食事の支度をしていた時代を想いながら、きびきびと手際よく運ぶ女の手元に少しでも近づくには木屋の道具が合うような気がするのです。

といっても、生きる時代も住む国も異なり、また私は時にかなりゆるくたるみやすい人間なので、幸田文を一種理想の女性像としていても、彼女の始末よく整理整頓されていたであろう台所や料理とは、現実の私の世界は全く比べられようもないものです。

さて、木屋贔屓の私にとって、唯一の例外は、今回京都で求めた抜き型。木屋の道具では感じることのない、はんなりした色気があるように思えます。そして、都の老舗への淡い憧れとちょっとした浮気心。

まずは煮ものでもと思うものの、ここワルシャワでは里芋も、牛蒡もなく、人参だけでさてどうしようか?料理の本を見ると、吹き寄せご飯の飾りに人参を紅葉型、南瓜を銀杏型で抜いて散らしています。あるいは、鍋ものの時に人参を厚めに切って型抜きしてもよさそうです。

今年の秋はちょっと楽しくお料理できそうです!
by ydonnadieu | 2011-08-22 00:00 | japon 日本
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